こんばんは。
日常はFacebookに投稿し、ブログでは◇お知らせ◇ばかりで、ブログ読者の皆様にご迷惑をおかけしています。ごめんなさい。
ひとまず、今年1月分の投稿をまとめてみようと思います。
(尚、Facebookに関してですが、友達申請してくださる場合、これまで面識のない方は一言、メッセージをいただけると有り難いです。申請だけ来ても、どなたか分からないと承認しにくいです。面識があり、お互い、顔と名前が一致する場合は大丈夫です)
《1月1日、夜》
こんな時間ですが・・・
新年 明けましておめでとうございますm(__)m
今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
《1月2日》
箱根駅伝、往路が終わり、アナウンサーさんが「また明日」的なことを言ったら、ばぁちゃんが一言。
「明日もあんの!?」
へ?
毎年、観てるやん・・・
紅白歌合戦でも、北島三郎さんが〈龍〉に乗って登場したら・・・
「海老が!?海老!?」
毎日、ツッコミどころ満載。
《1月7日(6日のこと)》
感動に浸っています。
今日は、取材始め。
スタートは東北福祉大硬式野球部。ある方をお連れし、一緒に山路監督のお話を伺いました。私は次の予定があったので、1時間しか滞在できなかったのが残念でしたが、福祉大野球部の昔の話しや山路監督の考え方を新年早々に聴くことができて良かったです。
福祉大の室内を2時に出て、聖光学院へ行きました。
作家・神渡良平先生から「6日に聖光学院に行きます」という連絡をいただいていたので、私もお邪魔してきました。
神渡先生のお話に、斎藤監督、横山部長、石田コーチのお話が絡み合っていく様は感動的でした。
神渡先生の取材の話しを生で聴くと、先生の書かれた本の世界に入り込んだ感覚になります。
そこに、聖光の指導者と選手の葛藤・苦労、その先の感動がうまくはまっていき、私はただただ、感動しっぱなしで、この空間に居られる幸せを噛み締めました。
12月に、「20代のうちにやっておきたいこと」が見えてきたのですが、それと直接の関係はないものの、私が進んでみたい道がより明確に見えました。
「ライター」は、学びと伝達のひとつの手段です。
今日、最も驚いたことは、たまたま会話の中で神渡先生が、京大元総長・平澤興氏の話しをなさったことです。
私は今年の年賀状に平澤氏の言葉を使わせていただいていたのです。
『努力することの本当の意味は人に勝つということではなく、天から与えられた能力をどこまで発揮させるかにある』
2014年、いいスタートが切れたことに感謝です。
《1月7日》
今日も午後から東北福祉大硬式野球部へ。
福祉大野球部の駆け上がっていく時代の話は、新たな発見があって面白かったです。
いち地方の大学が、学生野球に吹き込んだ風がいかに凄いものだったか。もちろん、山路監督が「凄いだろ!」と言ったわけではなく、亡くなった伊藤義博前監督のことやいろんなエピソードから私が感じたことです。
私が福祉大野球部を何故観たいと思うのか。一時期は観つつも、何故「う〜ん」と残念に感じる部分があったのか、そういったことが見えたのは良かったです。
今日もそれぞれの話が深く、感動的な時間でした。
私が書くわけではないので、気楽に「盗み聞き」している感覚だったのも”気づき”につながったと思います。
記事になったら、お知らせします。
《1月11日》
昨日は朝からビックリでした。
去年3月に聖光学院を卒業し、同志社大に進んだ京田世紀くんが、まさかの『福男』に。
去年のこの『福男』に仙台から参戦したのは、当時東北学院大硬式野球部4年生だった3人。仙台ー東京ー大阪とバスを乗り継いではるばる行ったのに、過去の映像も見て入念に下準備もしたのに、残念ながら抽選に外れて走ることすらできず(笑)抽選で選ばれることを、この時に知っていたので、京田が走れたことも凄いのに、ダントツの一番で走りきって『福男』になったのは本当に凄いことだと驚きでいっぱいでした。
ビックリしながら、昨日は、八戸へ。センバツ出場が確実な八戸学院光星高校へ。
午前中は職員会議があるということで、11時まで学校に行き、そこから小坂部長の車でグラウンドへ向かいました。
雪は思っていたほど積もっていませんでしたが、寒すぎて、痛かったです。
光星では一昨年から昼食を仲井監督の奥さんが準備してくださります。
昨日は「ラーメン・ぎょうざ定食♪」(仲井監督)
王将のぎょうざもその場で焼いてくださって、美味しくいただきました。
午後から写真撮影と取材。
練習は雪を踏みしめてフリーバッティングをしていました。
前日まで手投げだったそうですが、昨日からはさすがにマシンに。でも、そのマシンも寒さからか最初は”エンジン”がかからず、動きが鈍かったです(笑)
練習中、仲井監督の奥さんと娘のとわちゃん(小2)とマネージャーの和奏ちゃんがアルミホイルに洗ったジャガイモを包んでいました。
練習後、網に乗っけて焼いて、選手たちは『ジャガバタ』にしてモグモグ。正しくは、バターではなくマーガリンだったけど(笑)
こういう楽しみもいいよね♪
《1月12日》
今日は、中学野球。
宮城県選抜の練習を観てきました。
昨年末、久々にお会いした中学野球部の先生に、今日、県選の練習があることを聞きました。
大学3年だった2007年から大学野球を見始め(取材し始め)、2009年から高校野球も見始め(取材し始め)、今年4月からライターとして6年目になるので、そろそろ中学生も見てみたいなと思っていたら、なんといいタイミングで縁がありました。
年末にお会いした先生は、私が卒業した直後、私の母校の中学校に赴任し、野球部の監督になり、妹たちがお世話になった先生です。そして、私が教育実習で母校に戻った際、すでにソフト部が廃部(休部だったかな?)していたため、私は野球部の担当になり、お世話になりました。ちゃっかり、練習試合でベンチ入り(笑)危なく、遠征にも連れて行かれるところだったっけ。
そんな元々の縁があった上、たまたま年末にお会いしたことで、今日の練習見学になりした。
昨年11月には中学硬式野球の試合と練習を見せていただきましたが、「こうしたい」と思って、行動してみると案外、できるもんだなという感覚を思い起こしました。
「こうしたい」欲の塊だった学生時代。時が経ち、守りに入ったつもりはないけど、ちょっと停滞を感じた2013年。今年はもう一度、新しいことにチャレンジしていこうと思い、『一寸先は光り』をモットーにしようと思いました。
そうして始まった2014年は、まだ12日ですが、いい感じに進んでいると思います。
一歩、一歩、着実に。
《1月15日(13日のこと)》
昨日は4時起きで気仙沼・東陵高校の練習へ。
気仙沼は遠いな〜。
年末にお邪魔した時は自分で運転して行きましたが、昨日は運転手さん付き。とはいえ・・・。
行っちゃえば楽しいんだけど、気仙沼は遠い〜。
グランドは凍ってツルンツルン。のち、ぐちゃぐちゃ。
練習の合間、鹿折地区にも行きました。
かさ上げ工事まっただ中。
震災直後に来た時はがれきだらけだったところは整地が進み、新たな街が作られようとしています。
そんな中、かたくなに残ろうとする人の家がポツン。この家は、地震・津波の影響で傾いていて危険な状態だそうですが、住人の方はどけようとしないそうです。
気仙沼は東日本大震災の被災地です。
そうなると、どうしてもメディアは「地元を勇気付けたい・元気付けたい」というコメントを求めてしまいます。
しかし、年末に伺った時、キャプテンの山崎誠悟は「自分たち、出掛ける時はTORYOって入った物を着ていかないといけないんですけど、街とか病院とかに行って気づいた方々に『頑張ったね』とか言われると、気仙沼を元気に出来たのかなとは思います」と言っていました。
それが自然だなと感じました。
写真は線路です。
今日は19:30から津村さんのメンタルコーチング講座に、大学生球児2人とともに参加させていただきました。
津村さんは昨夏の甲子園に出場した聖愛高校のメンタルトレーナーです。
講座も勉強になりましたし、いろんな業種の方々と知り合えたのも良かったです。
お誘いいただき、ありがとうございました!
名刺、補充して行って良かった(笑)
写真は、懇親会に移動する時の仙台駅構内にて。このマー君も見納め。
《1月17日》
ぴったんこカンカンに、南青山の「鳥政」さん!
ここの焼鳥、大きくて美味しい。その分、値段もいい(笑)
大物芸能人も訪れる名店です。
大将と女将さんのお顔を久しぶりに見れて嬉しい。
ランチもやっているんだ!今度はランチに行こ。
《1月21日》
現在発売中の『Baseball Clinic』の中学硬式指導者インタビューBig Inning!で仙台北シニアを取材させていただいたお知らせでした。
先ほど、仙台北シニア・村山監督からお電話をいただいたのですが、仙台北シニアに所属している子どもたちが多い仙台市泉区周辺の本屋でベークリが売っていないと。そしたら、チーム関係者が買い占めていて、売り切れているらしいです(^^;)有り難いです!
ちょっとでもチームや子どもたちの励みになれば嬉しいです。
《1月23日》
今日は、チームフローの宮越大樹さんの講演を聴いてきました。
先週、弘前学院聖愛のメンタルコーチをしている津村柾広さんの講座に参加させていただき、今日のことを知りました。
私は人の話しを聴く時、その言葉をメモするのは当然ですが、聴いて自分が感じたことや過去の体験をメモします。
今日のお話は取材させていただく時や講話させていただく時にやっていたことが多く、「あれは良かったんだ」と思うことばかりで嬉しくなりました。
例えば。
取材させていただく時、私は自分のことも話します。今、自分が話している人間が何者なのか、記者ということは分かるでしょうが、それは着ぐるみのようなもので、中身がどんな人間なのか、少しでも分かった方が話しやすいと思うのです。
「誰」なのか分からなければ、心を拓ききってくれないと思います。
心を開くことはあっても、拓ききってくれないと思います。
私のことをすべて話すわけではなく、共通の知人の話しであったり、過去に取材した人の話しであったり、そのことに直接関係ない話しであったり、バカ話しであったり。でも、それを意図的にやったことはなく、話していると自然とそうなります。
大学3年で取材を始めた頃、選手との会話が続きませんでした。
何で話してくれないんだろ?そう思っていました。
解決方法は誰も教えてくれません。
いろいろと考えた結果、こちらが話しやすい質問をしていないんだ。会話を広げる質問をしていないんだ。そう気がつきました。
そして、「この人なら話せるという人間になろう」と思いました。
ですから、一番の褒め言葉は「話しやすい」と言われることです。この言葉は私にとって、どんな栄養剤よりも効果抜群です。
今がいいとは思わないけれど、大学3年の頃よりはましになっているかと思います。
もう1つ。今日は「ニコニコして話しを聴く」ということを最初に言われました。これは、私が講話する時に最初に言うことだったのでビックリしました。
2013年は3月から7月の5ヶ月で高校と大学の野球部8チームに講話をさせていただきました。
内容は野球のことはありません。
また、そのチームに合わせて違いますが、伝えたいことは同じです。
その講話の最初で私はこう言います。
「私は一応、女性です。これだけ、男の子に見つめられると緊張しちゃうから、しかめっ面ではなく、いい顔で聴いてね」
別に緊張しませんが、そうやって、聴く準備をしてもらいます。
講話の内容は、長くなるので控えますが、「いい顔」にかけて、1つだけ。
「笑顔が悪い人っていないよね」ということを話します。
今日、最も「そうだよなぁ」と思ったのは、夢を実現する時に「人に協力してもらえるやり方」という部分です。
去年まではすべて1人でやらなければならないという感じでした。
それが、「誰かと」と思うようになっていて、今日、それでいいんだと確信を持ちました。
「誰かと」と思った時からいろんなことが動き出したのです。それは、書ける時が来たら書きます。
今日もたくさんの勉強ができたことに感謝。
明日も顔晴ろー。
《1月24日》
センバツ出場校が決まりました。
出場が決まったチームのみなさん、関係者のみなさん、おめでとうございます(^^)
東北からは八戸学院光星と東陵の出場が決まりました。
補欠校は青森山田と角館。
東北大会ベスト4の花巻東は準決勝であったラフプレーにより、補欠校に選ばれなかったとか。
私は気仙沼の東陵へ行ってきました。
去年秋の県大会を4試合観て、なかなかの野球を見せてくれました。
(走塁をもう少し、がんばってほしいけれど、甲子園でもいつも通りやってくれれば)
12月に練習にお邪魔し、お話を伺いました。
今月も伺いました。
気仙沼には小さい頃、毎年行っていた海があります。
大谷(おおや)海岸と言います。
当然のことながら、今は当時の見る影もありません。
小学生の頃、地区の子ども会で毎年、行っていました。
家族や父の友人家族と行く時はちょっと外れの穴場なところがありました。
高校生になって、久々に行きました。仲が良かった本吉響高校のソフト部の子たちと行きました。今は市町村合併で気仙沼市になりましたが、当時は本吉町というところにあった高校です。
本吉から気仙沼市街地に行くまで、そんな思い出を思い返しながら向かいました。
東陵高校は山の上にありますが、学校からは甚大な被害を受けた鹿折地区が眼下に広がっています。
震災の時、3日間、燃え続けた街。
震災遺構として保存するか解体するかもめた末、解体されましたが、共徳丸という津波で内陸に打ち上げられた大型漁船もありました。
今はかさ上げ工事が行われています。
センバツ出場に、選手たちは涙。駆けつけた保護者のみなさんも涙でした。監督の千葉亮輔先生の奥さんは選手たちに「おめでとうね」と言って涙。「ウチの、弱いんですよ〜」という亮輔先生。ほのぼの感がよかったです(笑)
いろんな人の想いが詰まった「甲子園」です。
《1月25日》
今日は野球肘研究会に行ってきました。
14時〜1時間オーバーの20時まで。
3年前、野球肘に関わっているドクターの方々と知り合ったことがきっかけで、一昨日は楽天スクールと利府高校での野球肘の検診を見せていただきました。
また、現明秀日立の金沢監督と能勢さんの指導者講習会を見せていただき、「医療と野球現場の連携」について考えさせられました。
なかなか情報発信できるところがありませんが、勉強していって損はないと思い、今日も行ってきました。
みなさん、一生懸命に野球をやっている子どもたちの未来に目を向けてらっしゃって頭が下がります。
ただ、なかなか難しいことではありますが、医療現場と野球現場の温度差は感じます。
疑問もたくさん出てきましたし、なかなか考えさせられました。
脳が疲れました。ふー。
ちなみに、花巻東・佐々木洋監督もご講演されました。
《1月31日》
とある原稿を執筆中。
とあることから坂村真民先生の詩を読むことに没頭し、時間が過ぎました・・・。そして、愛媛の坂村真民記念館に無性に行きたくなりました。
詩といえば、私は小学生の頃から金子みすゞさんが好きです。
曾祖母が亡くなって、父とお寺に行った時、和尚さんから偶然にも『金子みすゞの詩を生きる』(酒井大岳著・JULA出版)という本を頂きました。何度も読みました。
2001年に放送された『明るいほうへ 明るい方へ』という金子みすゞさんを描いたドラマもビデオに撮って何度も観ました。
今は本棚の一番上に、曾祖母が持っていた『いちずに一本道 いちずに一ツ事』(相田みつを・佼成出版社)と並んでいます。
久々に、手にとってみました。
本の帯に「JULU出版局では、創設15周年を記念して、読者感想文集『みすゞさんへの手紙』を発刊する予定です。・・・云々」とあり、「締切 ’97/9/30」。
97年にビックリして、目が冴えました。
お陰で、もう一踏ん張りできそうです。